「子供たちは波が少し荒れているぐらいの方が喜んでいる。」

増井さんの話し方は言葉のセンテンスは短いが、一言一言をじっくり吟味するような話し方だ。
決して話し上手ではないが、心がこもっている分聞き取りやすく、私の心にストンと入り込んでくる。

当初は先生方の回遊体験として、土日開催を基本に体験を始めた。その前は南紀熊野体験博で実施。2年前『最南端メモリアルクルーズ』と名前変え、本格的にスタートした。地元の子どもたちが知っている海の楽しさ、美しさ、厳しさを、都会の子どもたちにも体験してもらいたい。この思いが事の発端だ。やるなら魚を食わず嫌いな子に、体験を通じて少しでも解消してもらい、食育の勉強にもなれば…と要望に応じて、実際に魚に触れ、の捌き方も体験してもらうことに。そして、体験に携わる漁師や養殖業を営む地域の人々に、いくらかの収入になればと。

「魚を捌く体験の時、違和感を覚えたのでよく見ると、習っている高校生が皆包丁を左手に持ってたんや。教えた人が左利きやったんで真似したんやなぁ」。

増井さんにとっては、衝撃的だったに違いない。だが今、私の前で増井さんは無邪気な笑顔を見せた。

 
 
 
「最南端メモリアルクルーズ」は、鯛やマグロの養殖生簀で餌やり体験を行い、串本の名所を船の上から見る贅沢な船旅。
「大島一周や、日本とトルコの友好の絆となったエルトゥールル号の座礁現場をクルージングする。橋杭岩の岩と岩の間を通る時、岩の近くで写真撮ると喜んでくれるや。残念ながら、天候によっては行けない時もあるけどな」と増井さん。当日説明はあるが、より楽しみたいなら事前に勉強して臨むと良い。紀州大島付近の海を知る男たちが案内するこの体験は、頭よりも肌で感じる事が多いからだ。肌で覚えた事は一生忘れないであろう。


次の世代を見据えて 

増井さんは一通り体験内容を語ってくれた後、現状抱えている後継者問題についても触れた。

「後継者については、現状1人で船に乗ってする引き縄をできる者がいない。平均年齢は70から75歳くらいかな。70歳ならバリバリやれるよ。でもそんな人たちは、他のタンカー船に乗って退職した人。生粋の漁師は10人もいない。漁師は博打性があるからお金が貯まらない。釣って儲けたらすぐに使ってしまうからなぁ」。

 
 
 
包み隠さずに漁師社会の現状を語り続ける増井さん。そんな彼も、漁師を生業とする以上、魚を獲らなければ漁師じゃない。体験ばかりに力を注いでいては周りから遊んでいると誤解されてしまう。だからこそ周囲の了解を得て、他所にはない体験を展開したい。例えば、串本漁港で朝昼2度行っているセリ。昼の市場で子どもたちの入札体験を構想。一方で教育旅行の受け入れを積極的に行う予定。近くの通夜島を活用するのもその一環で、整備すれば新たな体験が実現する。悪天候時の代替プログラムとして、漁協にあるマイナス30度の冷蔵庫を使っての面白い体験の実現を目指している。

「どんな仕事でも汚れなあかんし、危険はつきもの。それがほんまもんや。悲しいかな、今は各漁師とも時間的にも余裕ないのが現状。そんな中でも、これからも最南端クルーズ体験を長続きさせていきたい」。

次々とビジョンを語る増井さんの話に耳を傾けているうちに、その強面の顔の裏に少年のような一面と、未来への夢が息づいていることが分かった。
勿論それを実現させていくためには、まだクリアすべき課題は少なくない。
それでも、増井さんの表情や口調には悲観の色は感じられなかった。
この辺りは、海に生きる男特有の懐の深さであろうか。
 
そんなことを思いながら、海を見つめる私と増井さんの間をちょうど体験の船が横切るように帰ってきた。
海の天候は変わりやすい。空は曇り空で、午後はどちらに転ぶのかまだ分からない。
けれど私は無言でその姿を一枚のフィルムに納め、目の前の光景をしっかりと焼き付けた。
 
 
 
 
 
マグロの餌やり~大島一周のクルージング旅。
串本の海の魅力がいっぱいの体験です。
最南端メモリアルクルーズ